ブリティッシュ系って最近流行りなのか。。。個人的には英語をうまく操る人よりきちんとした日本語を話す人のほうが見とれるけど。”国際派”って、自分の国、生まれた土地、生き方考え方に誇りを持った上で相手の文化も尊重し、自分の言葉できちんと相手にそれを伝えられる人。・・・っていうイメージがある。”世界の中の日本人”として認められるには、いや、そんな大それたテーマではなくてもいい、例えば、私を認めてください。知ってください。尊重してください。・・・等、だれしも人から丁寧な扱いを受けたい、自分を理解してほしいと思いながら生活しているはず。逆の願望を持つ人はほぼいないと思う。だけど私は魅力的だ!!とか、こちらを見てください。といくら主張しても、ゲンキンな付録でもちらつかせてない限り中身のないものに誰も興味は示さない。それが現実。しかしそんなことしなくても、人からきちんと礼儀をもって扱われ、尊重されるべくして尊重される人間、そういう人っている。社交的になるとか、頭が良くなるとか、お金持ちになるとか、ひときわ上品に見せつけるだとか、常に人の機嫌をうかがっているとか、偉そうにしたり尊大そうに振舞っている・・なんてわけではもうとうない。その人たちはもっと日常的なことを毎日行なっている。たった一つ。それは、ものごとの表面的な部分だけとらえ楽しんだり、毎日の繰り返しにイヤだイヤだと言いながら作業していないということだけ。身に起こる全て、どのようにしてそうなったのか、なぜそうなったのか、なぜいま自分はこうしているのか、これはなぜ今わたしの前にあるのか、その意味を一つ一つに見出して生きている。ある意味なぜ、なぜ、、、との戦い。そんな毎日の繰り返しに生きることの最上級の楽しみとか幸せがあると信じているように。すると自然と人生全てに意味の無い事なんて一つも無いと思うようになる。そうしたら、嫌な事もうれしい事も、”起こったこと”ではなく、”起こるべくして起こった”ことになるのだ。自分自身が多くの選択肢から選択して行動した結果が”今”現実なのだと気づく。少なからず私が思うのは、人としてこの世に産まれたからには、ものをよく考えることを怠けてはいけないと思うのだ。よく考えない代償として人はバカになる。これも自分で選択した結果だ。そしてそのように扱われる。人生は悲しいくらいそうなっている。人に「バカにしないで!」と言う前に、自分を磨く事を常に忘れてはならない。この世の全てに一貫した規則性があり、普遍的な本質が必ずある。日常のどんなバカげたことにも必ず意味が隠れていて、そのときの自分にとって大事なメッセージが必ず隠されている。大事な。でも探そうとしないとそれは見つからない。世の中が早回りでそんなことじっくりやってる暇は無い!って思うかもしれないけど無理に世の中全てに合わせる必要は無いしそこに価値はあまり無い。絶対が付くが、まじめな心にはまじめな心が返ってくる。誠実な心には誠実な心が返ってくる。やさしい言葉かどうかではない。本人が意図しなくても表面的だったり自分の欲を満たす為の会話は必ず伝わり自然と軽んじられる結果を生む。相手がそれに気づきあえてそうしようとするのでなく、時間をかけ、”結果そうなる”のだ。でもそんなことはどうでもいい。自分だけは心で会話する気持ちを失わずにいようとすればいい。時代はめまぐるしく変わっても人の本質は簡単に変わらない。伝わるのは言葉ではなく心なのだ。これを絶対に忘れてはならない。忘れていると幸せにはなれない。言葉使いや何ヶ国語喋れるとかいったことでなく、ものにまじめに向き合う誠実な心。それ以上に人から信頼され尊重される方法は無い。語学はその手段に過ぎないと私は思う。

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